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満ちてゆく

この言葉は藤井風さんの「満ちていく」という歌の一節です。

以前、布教使の友人が東京の仏教セミナーに参加した話をしてくれました。そこでは、真っ暗な部屋で参加者が壁を向き、テーブルの上で、自分の大切なものを30個一つずつ紙に書くというものでした。そして、順番にその大切なものを一つずつ捨てていくということを行いました。すると、だんだんと捨てがたいものの順番になっていくのです。どうしても捨てられずに泣き出す人をいてるそうです。これは何を表すかといいますと、一種の臨死体験だそうです。どれほど嘆き悲しんでも大切なものを手放していかなくてはならない、それが死というものだということを体験するそうです。大切なものを書き表すことはそれほど難しいことではないと思いますが、それを捨てなくてはならないとなると簡単にはいかないでしょう。しかし、時として「大切と思ってたけど、考えたら別に手放してもいいんじゃないか」と思えるようなこともあるそうです。絶対手放したらいけないと思っていたけれど、手放すことによって楽になっていく(満たされていく)こともあるかもしれません。「執着」をこういう見方で見ると案外そこまで固執しなくてもいいんじゃないかと気づかされるかもしれません。この歌をききながらぼんやり「手を放しても大丈夫だよ」と教えてくれているのではないかと思いました。

 

 阿弥陀如来は「摂取不捨」の仏さまです。この私をつかみ取って離さない仏さまです。

 ちなみにセミナーを受けた友人は6番目で阿弥陀様を捨てたそうです。それは「私が捨てても阿弥陀様は決して私を捨てないから」だそうです。

南無阿弥陀仏