明専寺の開基


明専寺の開基

往古この地の領主に小寺美濃守職隆という武士があり、その孫小寺高伸は石山合戦の際に顕如上人に与し、天正5年河内国若江郡高井田の戦いで18歳で戦死、その没後菩提のために了月庵が建立され、その後宝性寺と改名、門徒に支えられてきたが、近鉄奈良線の開通により付近一帯の発展著しく信徒数も増大してきたので、大正7年境内地の整備を行い、大正155月明専寺を移転し、ここに宝性寺は廃寺となり明専寺となる。

 而して明専寺の由来は、寛永14年本願寺第13世良如上人の直弟子了裕の開基であり、移転を繰り返しながら、大正1412月了海法師が宝性山明専寺住職となった。昭和20年の空襲により被災し、全焼。昭和28年、現在の地に移転し現在に至る。

 

現住職は第18代住職、前住職の了昌法師は本願寺派宗務総長を務める。

明専寺は戦災に遭い全焼しましたが、多くの皆さんのお力によって昭和28年に再建されました。この写真は本堂の上棟式の写真です。


明専寺住職について

松村秀方

昭和43年生まれ

昭和60年 得度

平成6年龍谷大学文学研究科真宗学専攻修士課程修了 

平成16年明専寺第18世住職就任 

平成30年本願寺派布教使任用

  

法話のご縁を大切にし、生老病死という大きな悲しみを受ける人生の中で、大切な方とのお別れを通して、悲しみを悲しみのままにさせない阿弥陀様のみ教えをお話しさせて頂きたく存じます。お勤めも皆様に聞こえるような声で正しい声明を心がけます。